【修羅場】実家がお寺である祖父「跡継ぎの男の子が欲しいのに、うちの子はみんな女の子だ!なぜ男の子を産めないんだよ!?」奥さん「それは私にも分かりませんよ!」→結果
実家がお寺なんで、後継ぎの男の子が欲しかったのはわかる。
なんだけど、一人目の奥さんは3人連続女の子を産み、3人目で産後の肥立ちも悪く死去。当時は今ほど整った感じじゃなかったらしいから、3人も産めたほうが凄いと思う。
すぐさま二人目の妻を娶り、また子供を作った。けれど4人連続女の子だったらしい。
最後に生まれた女の子、つまり私の叔母は「憧」という時が入っている。
「男の子が欲しいと憧れながら子供を諦める、悲しい」という意味で名付けた。
その後、母や伯母、叔母が産んだのは全員女の子。
祖父は孫の誕生を祝うこともなく、「おまえ達まで男の子が産めないとは。我が家は呪われてるんだろうか。孫はもう見せに来なくていい。辛いばかりだ。男の子だけが本当の孫だ」と泣くので、みんな寄り付かなくなった。
…ということを、祖父は淡々と、幼い頃の私に話して聞かせた。
うちの両親だけは「お父さん、あなたの孫ですよ。可愛がってくださいな」と、祖父の寺に行く時は綺麗なワンピースを私に着せて何度も挨拶に行っていた。
私も「祖父のところへ行く=おしゃれできる」と認識していたので、「おじいちゃん、次会えるのいつかなぁ」などと言ってたらしい。
結果として私だけは女の子だけど孫と認められた。
その結果、死ぬ時も、葬式も、両親と私、祖母だけが参加。ほかの親族からは全員拒否されたそうだ。
病院のベッドでは、「なんで他の娘たちは来ないんだ」と嘆き、私の頭を撫でて「お前だけが私の孫」と弱々しく言っていた。
そこそこの規模の寺だったので、坊さんが何十人も押し寄せて読経するという、「ここまで豪華な葬儀は最初で最後」と言われるほどの立派な葬儀とはなった。
遺産相続では少し揉めたけど、伯母達が母に「父さんを押し付けてしまったのは事実だから、あんたが多くもらっていい」と母に多めにわけてくれた。
跡取りが産まれないということが、どれほど苦しいことかはわかる。
ただ、当時(今もだけど)命がけで我が子を産んだ妻子にガッカリした顔しか見せないって、それはどうなのかと思う。
そりゃ他の娘たちに顔背けられて当然だったなと今更だけど思う。