【毒親】母親の思い通りの人生を生きるように指図され、進学・就職・結婚は親のアクセサリーとなる選択しかしなかった。そんな人生で唯一良かったと思えることは…
自分の人生を振り返ると下らない人生だったと思う。
私は中学生の頃から自殺したいと思ってきた。
「いつか自殺するだろう、今はその勇気がないから生きているだけ」と思いながら生きてきた。
私の母はいつも不機嫌だった。
父が浮気ばかりしていたのもあるだろうが、母は自分の人生に怒っていた。
母は公立校の教師だから父と別れても経済的に困らないのに「保護者に批判される」と言って離婚しなかった。
家の中は地獄だった。テレビを見るのも映画館に行くのも漫画を読むのも禁止された私にとって図書館にいる時だけがくつろげる時だった。
そんな母は母の思い通りの人生を私が生きるように指図した。
母に言われるまま、小6で中学受験をして進学校に入り、その進学校では普通といわれる程度の大学に進学し、母が望むような企業に就職した。
昔であっても、その会社では「女はお茶くみ」なんてことはなく、社員として業務があり責任もあった。
私が25歳になると母は半狂乱になった。理由は私が結婚する様子が無かったからだ。会社の仕事は残業が多く帰宅したらへとへと状態だった。
母の口がパクパクと動き私に怒っているのは分かっていても母がしゃべっている内容が頭に入らず、家で元気に待ち構えていた母に抗う気力がなく適当にウンウンと返事していたら、私が理解していない間にお見合いをすることになっていた。
お見合いの相手はこれも母が望むような企業の人だったが、両親を見てきた私は結婚する気はなかった。でも、私から断る事は母は許さなかった。
そんな気持ちの入ってない私では当然、しばらくお付き合いをしても結婚できるはずもなく母の半狂乱の日々が数年続いた。が、ある日、別の見合いの話が来て、何故かその人を私は気に入って結婚した。
ゴールデンウィークやその他、土日祝日の休みをお見合いやその後のお付き合いに潰される事が多く、見合い話に疲れた私が、母や周囲の人からの結婚へのプレッシャーから離れるための結婚でもあった。